会社の歩み


まだまだ、戦後処理がおわっていない1948年9月。創業者である島野清がそれまで勤めてきた金物問屋から独立するという形で「島野清商店」として当社はスタートしました。創業当時の主力商品は、家具用の引出錠や鉄製の陳列レールを協力工場で生産する金物問屋でした。その後、取扱商品の種類も増え1956年に「島野金物株式会社」へ法人に改組しました。取扱商品が増えてきた事と 「独自の製品を」という想いもあり1958年製造部門の「スリーナイン金属工業株式会社」を設立、金物メーカーに転身します。スリーナイン棚受、ローラーレール(耳付)等新製品を開発していきました。まだまだ戦後の復興期で物が無い時代、作れば売れるという時代でした。 その中でも耳付レールは当時としては木材を掘り込んだ切り口を隠せるという事で、特許を取っていた事もあり、ヒット商品となりました。 その他ステンレスのハシゴ柱やアルミ製の40Hハカマと立て続けに製品を開発していきました。


今ではポピュラーな製品となったハシゴ柱。現在は多くのメーカーが製造していますが、一番初めに作ったのは実は当社です。「ハシゴ柱」という名前も当社が命名しました。 アルミ40Hハカマ ローラーレール(耳付)
1964年には座敷金物の製造を担う実用金属工業株式会社、メッキ部門のスリーナインアルマイト株式会社を設立し、少しずつ規模を拡大していきました。世間の景気の波にも押され当社もこれからという1966年、当社の根幹を揺るがす事故が起こります。創業者の島野清と妻秀世が全日空羽田沖墜落事故に巻き込まれ、この世を去る事となります。創業して18年享年50歳という若さでした。事業は長男で当時大学生であった現代表取締役会長 島野秀行が引き継ぎました。もちろん事業承継や引き継ぎといったものは全く無いまま学生社長としてスタートします。 引き継いだ当初は、業界内で当社の先行きを不安視する声も噴出しました。現会長のスタートは、会社を守る事、従業員を守る事、協力会社、お得意先にご迷惑をかけない事となりました。その経験から当社は、無借金経営、そして他社との価格競争に出来る限り巻き込まれない為にユニークなオリジナル製品の製造へと舵を切る事となります。

1967年には、全国のお客様への発送拠点として東大阪営業所を新設。 その頃の日本は公害問題等ありましたが、大阪万博を象徴として、各産業が大きく発展している時代でした。「防音レール」や「ステンレスレールシリーズ」「ステンレス蝶番シリーズ」「片長チャンネル」等たて続けに家具、建築、陳列の金物を発売。1978年には、当時としてはまだものめずらしかったコンピューターを導入し、在庫管理システムを構築しました。ユニークな商品だけでは無く、ユニークなシステムを目指して製品開発、システムづくりを進めていきました。 「ガラス用の吊戸レール」や「ワーカラン」「博物館レール」「直立レールシリーズ」等業界では一風変わった製品を開発し、本社のある大阪市ではお客様に「そこまで必要無い」と言われる事もありましたが、1日3便配達を行ってきました。
吊戸レール 3便配達 ワーカラン
1998年には創業50周年を迎えました。記念として業界初となるCD-ROMカタログを製作し、当社のブランドマークである999(スリーナイン)を社名に入れて「スリーナイン島野株式会社」と社名を変更しました。 「他社の真似はしない」「真似されるようなユニーク製品を創ろう」というのは、当社の中で一番浸透している哲学かもしれません。 全社員が開発担当者となって、アイデアを持ち寄る。お客様から要望されたもの、街中で不便に思ったもの、全く違う業界で使われているアイデア…。ありとあらゆるものが当社にとって開発のネタとなりました。現在では社員全員で年間400件近い新商品のアイデアを応募し、毎年40点~50点の新製品を発売するようになりました。 その甲斐あって、ガラス用の陳列レールの種類は100種類を超えニッチな世界とはいえ、業界ではトップの品揃えとなりました。とは言え10年近くかかって実現した製品や、発売して15年以上かかって陽の目を見る製品、そしてなかなか存在すら認知してもらえない製品がたくさんあります。まだまだお客様、社会のニーズにお応えできる製品づくりが出来ているとは言えませんが、少しずつでも皆様のお役に立てる製品づくりを続けていきます。
現 本社社屋 現 東大阪営業所社屋